伊予鉄道「坊っちゃん列車」(愛媛県松山市)
明治21年にドイツ・ミュンヘン市のクラウス社で作られ、
昭和の半ば頃まで、松山を走っていた列車がありました。
その懐かしさ溢れるレトロな列車が21世紀の城下町に蘇りました。
毛利製作所では
この復元された車両の外観と雰囲気を彩る数々の美しい真鍮製の部品を作りました。
その一部を紹介します。どこに部品が使われているか、わかるでしょうか?
「坊っちゃん列車」という名前は、明治の文豪・夏目漱石の小説「坊っちゃん」から来ています。
漱石は明治28年4月に松山中学校(当時は愛媛県尋常中学校、現在は松山東高等学校)の
英語教師として赴任しました。その時の様子を脚色して小説化したのが小説「坊っちゃん」です。
その中で漱石は、坊っちゃん列車のことを”マッチ箱のような汽車”と形容しています。
「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ。
ごろごろと五分余り動いたと思ったら、もう降りなければならない、道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」 〜 小説「坊っちゃん」より 〜